地域のアイデンティティ × 一人ひとりのやりたいこと。歴史と新しさが同居する観光地域・野沢温泉で耕される風景

一見すると昔ながらの風情を感じる温泉街。しかし、その中を歩いて行くと、スケートボードで颯爽と移動する若者がいたり、洗練されたデザインの飲食店などが建ち並んでいたり、ウインタースポーツを楽しみに訪れた多くの外国人観光客に出会う……そんな歴史ある伝統と新しい勢いが同居した風景が広がる野沢温泉村は、長野県でも注目を集める観光地域のひとつになっています。
今回お話を聞いたのは、世界で活躍したスキープレイヤーでありながら、野沢温泉観光協会の協会長を務める河野健児さん。地域の何を守り、何を変えていくのか。河野さんが見つめているものを聞きました。

「やりたい」からはじめることの価値

ーーまず、河野さんから見て「野沢温泉村」は、どんな地域だと思いますか?

河野さん:

野沢温泉村は、3つのアイデンティティを大切にしてきた地域だと思っています。それが、スキー・温泉・祭り。スキーに関しては、村を挙げてスキー場やスキークラブを運営してきました。その歴史は長く、ちょうど2024年でスキー場は開業100周年になります。しかも、日本の中でもトップクラスのオリンピック選手比率を誇っていて、3400人程度の人口から16人ものオリンピック選手を輩出しています。

また、地名にもあるように、温泉が各地から湧き出ているのも大きな特徴。江戸時代からつづく「湯仲間」というコミュニティで温泉の管理を行ってきました。そして、日本三大火祭りに数えられる「道祖神祭り」は、村民の誇り。国の重要無形民俗文化財にも選ばれています。スキー、温泉、祭りのいずれか単体だったら、各地にある人気観光地域に敵わないかもしれない。でも、ひとつの小さな地域にこれら3つの要素が集まっていることで、唯一無二の「野沢温泉村らしさ」が育まれてきたと考えています。

ーー3つのアイデンティティのひとつでもあるスキーに関しては、河野さん自身もワールドカップなどの世界の舞台で活躍されていましたよね。

河野さん:

この地域では、スキーがある暮らしは当たり前。幼い頃から、同世代の選手同士で高め合っていました。高校を卒業後、実力に限界を感じて、1人ずつ斜面を滑降してタイムを競うアルペンスキー競技を引退したんですけど、「自分からスキーがなくなったら、この村にいる必要はない」と感じるほど、人生と切り離せないものになっていました。

ーー野沢温泉村のアイデンティティが、ご自身のアイデンティティとも結びついている。

河野さん:

実際にその後、東京に行ってメッセンジャーとして働いたのち、複数人で同時に障害物のあるコースを滑って順位を競うスキークロスという種目に出会って現役復帰。ワールドカップにも出場しました。兄の影響ではじめたアルペンスキーとは違って、スキークロスは自分の「やりたい」という意思ではじめたから、のめり込んで、結果を出すことができましたね。

ーーその後、どのような経緯で野沢温泉村に戻り、事業を展開するようになったのでしょう?

河野さん:

セカンドキャリアについては、20代になってからずっと考えていました。特に何をするかは決めていなかったけれど、東京で暮らす中で、満員電車に揺られながら「もっと外の世界には、おもしろいことがたくさんあるんじゃないかな。自分はいつまでもここにいる場合じゃないな」と思っていましたね。でも、その前に自分自身がやりたいことを体現していないといけない。都会の生活も飽きていて、自然が豊かな場所で生きていきたいという気持ちも募っていたタイミングで、少しずつ地元・野沢温泉村に軸足を移して、SUPツアーなどのアウトドア体験などさまざまな観光事業を展開していくようになりました。

コミュニティの一員として、地域の営みをつくる自覚を

ーーただ「やりたい」という気持ちからはじめても、ビジネスが成長していくうちに、人を採用しないといけなかったり、雇用を維持するための収益を上げないといけなかったりといった「やらないといけない」現実的な課題にも直面すると思うんですが、いかがでしょう?

河野さん:

たしかにビジネスの成長と採用の問題は、観光地域ではよくある課題でしょう。人を採用しないと事業を継続できない。雇用を維持するためには多くの収益を上げないといけない……そんな話はよく聞きます。もちろん通年雇用ができる事業を展開することを目指しつつ、野沢温泉とは真逆の繁忙期・閑散期を持つ地域と連携し、働く人が他の地域で働くことができる仕組みづくりも必要ではないかと考えています。特に若い世代の人たちはいきなりひとつの場所だけで働くと決めてしまうのはリスク。だから、地域のハイシーズンに合わせて仕事を選べる働き方があってもいいと思うんです。雪が降ったら山に行き、暖かくなったら海に行くように。その方が、雇用側も、働く側も、無理なく「自分自身がやりたいこと」に集中しやすくなるはず。

▲取材も河野さんが手掛けた「GURUGURU」で実施。

ーーひとつの地域に居続ける必要はない。

河野さん:

はい。人口が減り、ただでさえ担い手が少ない状況なので、村の中にリソースを囲い込んでいこうという考えは現実的ではないですよね。村の外にいる人も関わりやすい・働きやすい状況をつくっていく必要がある。そうすることで、新しいプロジェクトなども立ち上げやすくなっていくはず。実際にそういった働き方を実践したからこそ、温泉街の一等地でシャッターが閉まったままだった空き店舗を、「GURUGURU」のような人が集まる場に変えていくことができたと思うんです。

ーー柔軟な関わり方を許容することで、地域の可能性を開いていく、と。

河野さん:

ただ、むやみやたらにどんな人でも来てくれたらいい、というわけでもありません。スキー・温泉・祭りといった、地域のアイデンティティにリスペクトを持ってくれる人じゃないと、野沢温泉村という地域がただただ消費されてしまいます。地域の価値を保っていくには、この地で働く人一人ひとりが、野沢温泉村の営みをつくっていくコミュニティの一員であるという自覚を持っていることが大切。その気持ちさえあれば、たとえウインターシーズンだけの関わり方でも構わない。自分のやりたいことを自由にやればいいと思うんです。「地域へのリスペクト」という共通項を持った人たちが、それぞれのやりたいことを叶えている地域って素敵じゃないですか。

変わってもいいところと変わるべきでないところを見極めながら

ーー「地域のアイデンティティを守りつつ、外からの人を受け入れる」。言葉にするとシンプルですが、実践するとなると決して簡単ではないような気がしています。なぜ野沢温泉村は、そんなことが可能になっているのでしょうか?

河野さん:

変わってもいいところと変わるべきでないと思うところがはっきりしていたからじゃないですかね。たとえば「スキー・温泉・祭りといった野沢温泉村のアイデンティティは変えるべきでない。これらのアイデンティティで育まれてきたコミュニティ文化を守りたい」という認識が共有できています。

たとえば、野沢温泉村では、スキー・温泉・祭りのそれぞれに会合がありますが、分断されていない。“スキー事業者”や“温泉事業者”として自らの事業に閉じるのではなく、いち“野沢人”として、自分たち以外の事業にも関心を寄せて会合に出入りしているんです。そういった動きがあるからこそ、「変わるべきでない」地域のアイデンティティを強固にできているんだと思います。

ーー変わるべきでないところを明確にして、コミュニティ内で強く認識できているからこそ、それ以外の変化は許容しやすくなるのかもしれませんね。

河野さん:

最近は温泉街の中心でスケートボードに乗っている若者がいたり、かっこいいデザインのショップも生まれはじめています。目に映る風景は少し変わったかもしれないけれど、根っこは変わりません。コミュニティ文化を大切にしながら、それぞれのやりたいことを自由にかたちにしていく。そんな「野沢温泉村らしさ」の表現の仕方がたまたま違うだけなんです。

ーー最後に、観光地域としての野沢温泉村を、今後どのようにつくっていきたいですか?

河野さん:

地域の課題をいろいろな人に投げかけて、もっと色々な人を巻き込んでいきたいです。あえて困っていることを開いて。

たとえば、外部の人を野沢温泉村に誘って、スキーや温泉、祭りといった地域の醍醐味を感じてもらい、「実はこういう問題があるんだけど、いっしょに考えてみない?」と声をかけてみてもいい。村の内部の人に街の課題を話してもいい。そうやって、自分事として野沢温泉村を捉えてくれる人を増やして、この地域の日常を豊かにできればいいと思います。

Words
Takumi Kobayashi
1990年長野県松本市生まれ。京都大学総合人間学部卒業後、株式会社リクルートジョブズにてバックオフィス業務に従事。その後、クリエイティブ業界に転身し、広告制作会社やコピーライター事務所を経て2021年に独立。「きいて・整理して・言葉にする」スタンスで、経営・広報活動のお手伝いをします。長野県立松本深志高校卒業。
Edit / Photograph
Takumi Inoue
飲食店やITスタートアップの立ち上げ/経営を経て、「株式会社MIKKE」を創業。クリエイター向けの無料のコワーキングスペース「ChatBase」、ウェブマガジン「KOMOREBI」、HOTDOGSHOP「SPELL’s」、全国の高校生300人を集めたオンラインプログラム「project:ZENKAI」など数多くの事業/プロジェクトをプロデュース。90年続く老舗銭湯「小杉湯」や廃ビルを再生した「元映画館」などのブランディング。長野県では、DX人材育成事業「シシコツコツ」の立ち上げ/運営など。現在は長野県小諸市にて、『文化の台所』準備中。